他人のつらさは、自分のモノサシで測ってはいけないんだよ

こんにちは、ヤドカリのように生きていきたいつくだにです。嫌なことがあったら、すぐ殻に引きこもるんだ……

「他人のつらさは、自分の持ってるモノサシで測ってはいけない」

通勤中歩いていると、ふと浮かんできました。なんだろう。つらいことでもあったんだろうか私。

ただ自分で考えておいてなんですが、「確かになあ」と思ったので、書き残しておくことにしました。

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人のつらさを奪うな

こういうことが嫌で……。そんな相談をすると、「でも私のときはもっとひどかったよ。今は恵まれてるよ」なんて返してくる人の多いこと多いこと。

あなたの話をしているんじゃないよ。
今は私の話をしているんだよ。

そう言ってやりたくなります。

時代の移り変わりによって、人の悩みとかつらさっていうのは変化するものだと思うんです。そのとき大変だったことは大変じゃなくなったかもしれないけど、今は今の大変さがある。

それに加えて、その人それぞれの「つらいと感じるライン」があって。

だからこそ「他人の感じるつらさ」は簡単に否定するべきじゃないし、自分と比べて簡単にあしらってしまうのは違う気がする。

その人が求めてるのはなんなんだろう

つらいとか、嫌だとか、ネガティブな話をされたとき。相手は何を求めているんだろう。

共感なんだろうか?解決策なんだろうか?

そんなことを考えながら、余計な口は挟まず、まずは聞き役に徹する。

よく「男は解決策を求めて、女は共感を求める」なんて言いますが、私自身は「どっちであろうと共感って大事じゃない?」って思っている派です。

人って、自分のことを肯定されたい生き物だから。

頭から否定したり、話を奪ったり、そんなのはもってのほか。

相手のつらさは相手のものです。丸っと受け止めて、一緒に抱えようとする気持ちが正解なんじゃないかなあ。

だからこそ私は共感したい

「つらい」と言われたら、「あなたはこういう事がつらいのね」と共感する。

「わかる」の一言でもいい。
「確かにつらいよね」でもいい。

自分の気持ちに寄り添ってもらえた、と相手が感じてくれたら、それが一番いい。

解決策がほしいなら、提示はその後で十分です。

その時も、自分のモノサシで考えるんじゃなく、できるだけ相手の気持ちを尊重した言葉を選びたいね。

ということでした

人って生きていると、自分の通ってきた道に固執しがちで。

「こうあるべき」「こうするべき」っていう、~~べき病にかかってしまうんですよね。

だからこそ、人の気持ちを考えるときに、自分のモノサシを使ってしまうんですが。

自分事、に置き換えるのは大事だと思います。自分だったらどうするだろう?そう考えて、相手の気持ちに寄り添うのは、とてもいいこと。

けれど、自分事に置き換えて「たいしたことないな」と思ってしまうのは、相手の気持ちを無視してしまっているから。

そうならないように、モノサシの使い方も考えていきたいものですね。

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